「ゆとり教育」という言葉を、ここ数年の間よく耳にする。2002年4月から実施されている学習指導要領が、この「ゆとり教育」の実施を掲げたことにより、広く世間に浸透した言葉だ。これは従来の「詰め込み型教育」に対する改善策でもあり、「学習内容3割削減」「総合的な学習の時間設置」など、従来の学習指導要領の内容を大幅に変更するものでもあった。
しかしこの「ゆとり教育」が今猛烈な批判にさらされている。子供の基礎学力低下や、補習・学習塾に通う必要性が高まり、かえってゆとりがなくなったなどの弊害が次々と報告されている。先月には、文部科学省の中山成彬大臣までも「ゆとり教育の導入は拙速すぎた」と、その間違いを認めてしまった始末。今や「ゆとり教育」は完全な悪教育にされてしまった感がある。
そもそも「ゆとり教育」の目的とは「生きる力」の育成であり、ゆとりはその手段でしかないはずだ。ではその「生きる力」とは何か。
1996年、教育審議会の1次答申は「生きる力」を次のように規定している。
①自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を
解決する能力
②自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性
③たくましく生きるための健康と体力
この目的自体は間違ったものではないように思う。この3つの力は、子供たちが将来社会を生きていくうえで欠かせないものだ。そしてこれはスポーツをするうえでも必要な力である。
では現在子供たちがスポーツをする場(日本の場合は特に部活)において、このような力をきちんと身につけているのかといえば、そうでもないように思える。もちろんそれには個人差があり、スポーツを通してこのような力を身につけている子供もたくさんいるだろう。しかしそれは所属する団体の特色や指導者の力によるところが大きく、日本のスポーツ界全体でこういった力を身に付けさせていこう、という意識はまだまだ希薄であるように思える。
現実に、この「生きる力」が身に付いていれば起こらないようなことが、次々と起きている。高校大学の運動部員らによる暴行事件や喫煙事件。年々低下する基礎体力。これらはそれぞれ②,③の能力が足りないことを示す結果である。
そして①においては日本のスポーツ界における慢性的な課題となっている。強豪校では監督の言ったメニューだけを何の疑いもなくこなし、その他の学校ではただ惰性的に部活に参加するだけ、という子供も多い。やらされているという意識では面白くもないし、上達など望むべくもない。高校卒業後、すぐにそのスポーツを止めてしまう人が多いのは、そういったことも影響しているのだろう。
さらに①ができるできないでは、当然プレーも変わってくる。スポーツの国際試合では、予測不可能な事態に陥るとパニックを起こす日本人選手をよく見かけるが、これは指導者が一方的に「教え込む」だけの日本式指導のあり方が、多分に影響している。そしてそれは指導者が目先の勝利のみに追われ、選手を信頼してこなかった証でもある。
逆に①がきちんとできる人は、世界の舞台でも活躍できる。ここでは総合スポーツ誌『Number』の626号に掲載されていた、イチローの談話を紹介しよう。
(高校時代は)他のチームメイトよりも、はるかに練習してないし。だから、努力してるヤツが報われるわけじゃないってことかな(笑)。苦しんだからって報われると思っていたら、大間違いでしょう。同じ苦しむにしても、考えて苦しまないと。何も考えないでただ苦しんでいてもダメだということですよね。こんなに苦しんでいるんだから、というところに逃げ込んでいたら、いつまでも違う自分は現れない。とにかく考えることですよ、ムダなことを。ムダなことも考えて、言葉にしようとしているうちに、何かがパッと閃くことがあるんです。
同じ記事の中で、イチローは中学時代、部活の先生に
「ボールが当たったらバットを返しなさい」と言われても、
「誰よりも打球は飛んでいるじゃないか」と言い返して、頑なに自分のやり方を貫き通したことを明かしている。
イチローは言われたことをそのまま受け入れるのではなく、自ら実践し、なぜそういう結果になったのかを考え続けたからこそ、メジャーであれだけの成績を収めることが出来たのだ。昨年シーズン途中でバッティングフォームを変え、年間最多安打に結びつけたのも、彼に①の力があってのことである。その力は間違いなく、彼がメジャーという場で「生きる力」となっているのだ。
「ゆとり教育」が間違っているのはその目的でなく、手段であり、評価方法である。上記3つの「生きる力」はどれもこれもテストの点では計れないものばかりであり、すぐに結果が出るものとも思えない。
そもそも学習内容を3割削減した時点で、基礎学力が低下するのはわかりきったことである。「ゆとり教育」の指標となるものを国が設けず、何の準備も無いまま、勉強時間を減らせばゆとりが出来るだろう、という安易な考えで導入した結果が今日の混乱を招いている。
まず変えるべきなのは社会の「学歴至上主義」。そしてスポーツでは「勝利至上主義」である。テストの点数以外で勉強から得られるもの、勝利以外でスポーツから得られるものを、もう一度考え直すことである。