あれからもう6年か…。昨日、一昨日と、ニュースや新聞を見るたびに思い出すのは、高校三年生だった頃の自分。街の雪景色を眺めながら、向かった先はセンター試験会場。ああ、そういえば駅に向かう途中自転車でこけちゃったんだよなあ。
タイトルとは全くの無関係及び長い前ふりですいません。昨日取材させて頂いた方は、6年前の自分と同じ歳なんですよね。なんだか感傷的になってしまいます。うーん、オヤジ化したなあ。
さて、いい加減本題に入りましょう。
この日は「ペルー野球を支援する会」四代目派遣コーチである栗原浩さんのお宅へ。
「よろしくお願いします」
流暢な日本語で迎えてくれたのは、ペルーからの留学生、ヨサ・ススム君。ススム君は三代目派遣コーチの川崎基司さんや、栗原さんのペルーでの教え子に当たります。三年前に来日し、埼玉県にある本庄第一高校に入学。野球部に入り、日本の仲間と共に甲子園を目指しました。
画像を見ての通り、甘いマスクにさわやかな笑顔。本庄第一高校は昨年の埼玉県予選準決勝で浦和学院に敗れていますが、もし甲子園に出ていたら、斉藤祐樹投手に匹敵するような人気者になっていたかもしれません。
そこでちょっと意地悪な質問
「女の子にもてるでしょ」
「いや、そんなことは…」
目を伏せて照れ笑いを浮かべるススム君。ちょっとシャイな性格のようですが、心の芯は非常に強いものがあると感じました。
(左がヨサ・ススム君。右が四代目派遣コーチの栗原浩さん)
全く違う文化の国に来て、いきなりの寮生活。しかも本庄第一は、栗原さん曰く「埼玉一厳しい監督」のいる高校。ときに「ペルーに帰れ!」と、厳しい叱責を受けることもあったようです。さらに日本特有の先輩後輩の上下関係、冬の寒さ、肩の故障。ペルーでは味わうことも無かった辛く、厳しい試練に、人知れず涙を流したこともありました。
それでも「日本へ行かせてくれた家族のために」と歯を食いしばり、ススム君は三年間野球部でボールを追い続けました。
そんなススム君のガッツや誠実さは、たくさんの友達をもたらしました。練習が休みの時は友達と焼肉を食べに行ったり、ボーリングで遊んだり。寮のテレビでは一緒に『あいのり』を見ていたそうです。
では野球以外での一番の想い出は?
「修学旅行です。大阪、京都、長崎に行きました。大阪ではユニバーサルスタジオジャパンで遊びました」
たくさんの友達と過ごした時間。ススム君にとって、野球部の経験と同じくらい大切な想い出になることでしょう。
「三年間全く文化の違う国で野球が出来たっていうだけで凄いですよ。本当に良く頑張りました」
ペルーでススム君を指導し、もっと良い環境で野球をやらせてあげたいと日本への留学を進めた栗原さんも、この3年間のススム君の頑張りを称えています。
「やっぱり彼には日本の野球の良いところを学んでほしかったし、日本にもペルー野球の良いところを知って欲しい」
よく高校スポーツの留学生というと、大会の結果だけを求められる、いわば「助っ人」と思われがちですし、実際そういう高校もあるのかもしれません。しかし「卑怯だ」という理由をつけて、留学生そのものを否定するのはいかがなものでしょう。
大会の成績以上に、もたらされるものは必ずあるはずです。留学生にとっても、そして彼らを受け入れる日本にとっても。