21日、トリノ五輪最大の注目競技、女子フィギュアスケートのショートプログラムが行われた。トップは最終滑走で66.73を叩き出したサーシャ・コーエン(アメリカ)。優勝候補筆頭のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)は66.70で2位につけた。日本勢ではほぼ完璧な演技を見せた荒川静香の3位が最高。得点も66.02と、トップ2人とほとんど変わらない高評価を受けた。村主章枝も大きなミス無く、61.75で4位。安藤美姫は最初の3-3回転でのミスが響き、8位と出遅れた。
彼女たちのこの五輪にかける想いはそれぞれ違う。五輪終了後、荒川は競技ではなく、ショーとしてスケートを行うプロスケーターへの転向を既に名言している。つまりこのトリノが荒川にとって、事実上最後の五輪となる。本来ならば04年の世界フィギュア優勝後に引退するつもりでいたが、それを撤回してまでこの五輪で「競技者」としての集大成を見せることを決意した。大会直前にはショート、フリーの曲目を共に変更。より高得点の狙えるプログラムで五輪のメダルを狙っている。
常に「ファンの皆様に楽しんでいただける演技を」と口にし、表現力を磨いてきた村主章枝は、本番前の公式記者会見で「Passion lives hereを演技で表現できれば」とコメントしている。勝負へのこだわりというものももちろんあるのだろうが、こちらは「競技者」というよりも「表現者」として臨む姿勢を強調している。
荒川はショートで見事な演技を見せ、金銀は不動と目されているスルツカヤ、コーエンとほとんど変わらない点数をマークした。村主も会心とまではいかないまでも「らしい演技」は見せてくれた。一方、安藤の演技はこの2人に比べ、どこか覇気が感じられないものだった。
04-05シーズンの安藤は「スケートが楽しくなかった」と思い悩んでいた。その最大の原因は、採点方式変更に伴い、コーチから安藤の代名詞ともいえる4回転ジャンプを禁止されていたことにあるだろう。迷いの生じた安藤の心を、周囲の雑音がさらにかき回す。4回転を求める声、五輪への期待、そのルックスゆえ集まってくる好奇の視線。そんななかで、17歳の女の子に楽しく滑れという方が無理な話だ。苦しんだ末に、安藤はシーズン終了後にコーチを変えることを決断した。そしてことあるごとに4回転への挑戦を明言するようになる。まるで失ってしまった「楽しさ」を4回転に求めるかのように。
「楽しむ」ということはスポーツをするうえでの根本的なモチベーションとなる。楽しいからそのスポーツを始めたのであり、楽しいからこそ、スポーツ選手は厳しい練習にも耐えられる。荒川のように勝負にこだわるのも、村主のように表現にこだわるのも、言い方を変えれば楽しみ方の一つなのだ。4回転を跳ぶというのも楽しみ方のひとつであることに違いはないだろう。しかし荒川や村主が「こうすれば楽しい」と理解して滑っているのに対し、安藤は「4回転を跳べば楽しくなるはず」と、必死に自分で思い込もうとしているようにも感じられる。そして迎えた05-06シーズンも、安藤は4回転を跳ばないまま、迷いのある演技を続けてきた。
もともと安藤の言う「スケートを楽しむ」ということは4回転を跳ぶだけではなかったはずだ。だがどんなに滑っても、スケートは一向に楽しくならない。そんな安藤の心の拠り所として、最後に残ったのが4回転だったのだろう。つまり「4回転を跳べば楽しくなるはず」と思い込むことによって、なんとか自分を支えているのではないだろうか。
安藤のショートでの失敗も、4回転が入っていないことによる精神的な影響が大きいのだろう。順位への興味も、ほとんど失っているように思える。ただ練習で何度も4回転に挑戦しているという報道を信じる限り、跳ぶか否かの迷いは吹っ切れたようだ。これまで4回転を跳ぶといって跳ばなかったのは、コーチに禁止されていたからというよりも「4回転を跳んでも楽しくなかったらどうしよう」という想いがあったのかもしれない。
安藤にとって五輪で4回転を跳ぶということは、自らのなかで、スケートがどういう存在なのかを再確認する唯一の手段だ。「楽しくない」原因は本当に4回転を跳ばないことにあったのか。それとも別の要素が関係しているのか。そもそも自分はスケートの何を「楽しんで」いたのか。それは安藤の今後のスケート人生に大きく関わってくる。
「楽しい」とは非常に漠然とした言葉であり、何を持って「楽しい」となすのかは個人によっても変わってくる。小さい頃はただ漠然と行為自体を楽しむことが出来る。しかし年月を重ねていく度に、それだけでは物足りなくなる。楽しむためには確固たる要因を見つけださなくてはならない。それが勝負なのか、表現なのか、はたまたパイオニアとしての名誉なのか。23日のフリーで4回転に成功した瞬間、安藤美姫は何を思うのだろうか。