「積極的にとばしてますよ」「積極的にシュート打って欲しいですね」「積極的に前へ出ています」世界陸上、サッカー東アジア選手権、PRIDE武士道とスポーツ中継のオンパレードだった昨日、こんな実況が耳についた。全く性質の違う3つのスポーツ中継において、同じ「積極的」という言葉がよく使われていたのだ。それもいずれも肯定的な意味合いでだ。
昨日の実況に関わらず、「積極的」とはスポーツアナウンサーの常套句だ。とりあえず褒めるところがなくなると、「いいですね、積極的です」という言葉が口をついてでてくる。それはまるで「○○ちゃんでどんな子?」と聞くと「とってもいい子よ」と決まって返す女の子を思わせる。
別に積極的なプレーが悪いということではない。ただそれが「なぜ」良いのか。その辺りがおざなりになっている感は否めない。「次につながります」という言い訳ももう聞き飽きた。世界陸上では積極的に行ったら後半スタミナ切れを起こした。サッカーでは積極的にシュートを打っても全然違うところに行ってしまう。PRIDEではカウンターをもらって失神した日本人ファイターもいた。本当にこれらは「良い」ことだったのか。積極的に行くことは全て正しいことなのか。
いささか極端な書き方になってしまったが、要は「積極的」なプレーがなぜ「良い」のか、その根拠をきちんと述べて欲しいということだ。何の根拠もないままただ「積極的なことは良い」というような言い方をされると、「積極的=良いプレー、消極的=悪いプレー」というふうに、視聴者のスポーツの見方が極端に偏ってしまう危険性がある。決勝進出者はタイムで上位○人まで選ぶから、キーパーの反応があまり良くないから、相手は離れて戦うタイプだから。そういった簡単でもよいので「積極的」なプレーが「良い」理由を我々視聴者に説明する義務が、アナウンサーや解説者にはある。
そして同じように「消極的」なプレーの良さも解説して欲しい。消極的なプレーに見えても、実はチームの守備に貢献していたり、冷静に力を温存していたり、相手を疲れさせるといった作戦かもしれない。消極的なプレーの良さというのは特に素人目にはわかりにくいところだ。それを説明することこそがアナウンサーや解説者の腕の見せ所というものだろう。
さらに積極的、消極的なプレーのなかにも良い部分と悪い部分がある。単に一つのプレーを積極的、消極的の2つに分けて判断するのではなく「ここは良かったけど、ここは悪かった」というように、もっと細分化された解説も時には必要だろう。
このような解説が難しいのはわかっている。特にサッカーのようなスポーツではボールをもっている本人だけでなく、周りの状況というものが多分に影響する。そのプレーの良い悪いの判断も人によってかわるだろう。しかしそれでもあえてきちんと理由のある実況、解説を要求したい。それが日本人のスポーツを見る目を養い、スポーツ自体のレベルアップにもつながってくるからだ。そして我々視聴者も「積極的=良い、消極的=悪い」ではなく、なぜそれが良いのか、なぜそれが悪いのかを、自分でしっかりと考えられるようにならなくてはいけない。