敷村良子原作で、98年に田中麗奈が主役を演じ、好評を博した映画『がんばっていきまっしょい』のテレビドラマ版が今週火曜からスタートした。松山の高校に通う女の子たちが女子ボート部を作り、様々な苦難に遭いながらも、最後は素晴らしいセーリングを見せるという、青春スポーツドラマの王道を行くストーリーだ。
この『がんばっていきまっしょい』に限らず、スポーツを題材にしたテレビドラマはかなり多い。1クール前にはF1を扱った『エンジン』、バレーボールを扱った『アタック№1』が放送されている。古くは『柔道一直線』や『スクール・ウオーズ』など、昔からテレビにとってスポーツはドラマ化しやすい題材だったと言えるだろう。
しかしだからといって、そのドラマがみんな面白いかと言われれば、そうでもない。『エンジン』は4~6月期のドラマの中では№1の視聴率を稼ぎ出したが、平均で20%台前半と、キムタク主演のドラマにしては惨敗だったと言わざるをえないだろう(視聴率とドラマの面白さは必ずしも比例するわけではないが)。つまりスポーツはテレビドラマ化しやすいが、必ずしもテレビと相性の良い存在ではないのだ。
そんなスポーツ・ドラマのなかにあって、近年高い評価を受けたのが『ウオーター・ボーイズ(1と2)』だ(これも映画からテレビドラマとなった)。水泳部に所属する主人公が、仲間と共に成長を重ね、ついには目標であった学園祭でのシンクロ公演を実現するという、これもある種の黄金パターンに属するストーリーである。
最初は「男のシンクロ」という面だけが話題を集めたが、実はこのドラマの注目すべき点は他にある。それはこのドラマが「半ドキュメンタリー」ともいえるドラマだということだ。毎回最終回に放映されるシンクロ公演のシーンは、本当に客を集め、1テイクで行う。失敗しても取り直しは無し(編集はされるが)。それゆえクライマックスのシンクロの部分からは、他のスポーツ・ドラマには無い「緊張感」と「迫力」が感じられる。
この2つはスポーツというものを見せるにあたり、かなり重要な要素となる。もともとスポーツは筋書きの無いドラマとか、スポーツ・ノンフィクションとか言われているように、演技無し、つまり何が起こるかわからないという緊張感に魅力がある。逆にドラマはその筋書きがミソとなっているわけで、このギャップを埋めるのは容易ではない。
『ウオーター・ボーイズ』はクライマックスの撮影に本当の客を呼び、実際に公演を開くことによって、ドラマの中に緊張感をもたらした。しかもドラマの出演者がその公演に向けた練習を重ねているところをドキュメンタリーにしてしまう。このドキュメンタリー番組の作り方はまさにスポーツ・ドキュメンタリーであった。
そしてスポーツ・ドラマ最大の見所でもあり、アキレス腱ともなるのがスポーツシーンの「迫力」である。テレビドラマはその部分が圧倒的に物足りない。迫力を出そうとCGを含め、様々な演出を試みるが、それがかえって迫力を無くしている。本来我々が求めるスポーツの迫力というものは、スポーツ選手が何年も血の滲む努力を重ねて作り上げた、体と技術がぶつかり合うことによって初めて出るわけであって、ほんの数ヶ月のトレーニングとごまかし程度の演出などで得られるわけが無い。いくら名俳優でも150kmのボールは投げられないし、プロボクサーのような鮮やかなコンビネーションを打つことも出来ないのだ。
この『ウオーター・ボーイズ』では、観客の前で実際に演技をする、ということで迫力を持たせている。観客の存在は、言うなれば証人である。俳優たちは実際にテレビで行われているような素晴らしい演技が出来るんですよ、ということを観客たちは証言してくれるのだ。いや、実際に証言してくれなくても、実際に観客を入れたんだから本当にやったんだろう、という印象を視聴者に植え付けることが出来る。つまり他のスポーツ・ドラマの俳優たちは実際にその演技のようなプレーをすることは出来ないが、『ウオーター・ボーイズ』の俳優たちはできるのである。
このドラマの題材となっている「男のシンクロ」の見所が、技術的、体力的な部分ではないことも大きい(何せ正式なスポーツ種目に男子シンクロは無いのだから)。「男のシンクロ」の見所を一言で言ってしまえば、ノリの良さである。いかに楽しそうに、ノリよくできるか(もちろん多少技術的な要素もある)。約30人もの俳優を揃え、ドラマにしては異例とも言える長い練習期間を設けることによって、『ウオーター・ボーイズ』はそのノリの良い演技を身につけることに成功したのだ。ノリの良さというのも、ある種の迫力である。
「緊張感」「迫力」という二大要素を醸し出すために必要なもの。要はそれが本物かどうか、ということである。『ウオーター・ボーイズ』はドラマである。そしてドラマは演技でしかない。しかし演技も突き詰めることによって本物となるのだ。クライマックスの十数分のシーンを取るためだけに何ヶ月も練習を重ね、本番は失敗が許されない状況の中でやる。彼らが見せてくれたシンクロ公演は、演技という範疇を超えて、スポーツと呼べるにふさわしいものとなっていた。
CGの登場など、テレビの演出技術は日々進歩を重ねている。それらの技術は人間には到底出来ないことも簡単にやってのけてしまう。しかしそんなものに感動は無い。人が感動するのは、自分と同じ人間が困難なことをやってのけるからだ。スポーツを扱ったものでも、それ以外でも、ドラマを作る人たちは過剰な演出などではなく、もっと「本物の演技」を見せていくべきなのだ。